旅と劇場とスタジアム   ~アーティスティックライフに憧れて~

旅、温泉、飲み歩き、音楽、ミュージカル、ラジオそしてサッカー・スポーツ観戦が大好きなサラリーマンによる雑文記。日々の想いをつづっていきます。

【文学】沢木耕太郎「深夜特急」を四半世紀ぶりに再読。自分の原点を思い出すゴールデンウィークとなった。

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私の最も大切な蔵書 沢木耕太郎深夜特急


好きな作家は、と聞かれたら、間違えなく沢木耕太郎と答える。

沢木耕太郎は私にとって、特別な作家だ。

私は、沢木耕太郎の生き方にずっと憧れ続けていた。

 

私は、2017年4月からこの3月まで丸3年間、仙台で勤務しており、自宅のある横浜と仙台を行ったり来たりしていた。

その際に利用していた東北新幹線の各座席には、普通車にも車内誌が置いてあり、その中に「旅のつばくろ」という名称で、沢木耕太郎のエッセイが連載されていた。

そんなエッセイが最近、単行本として発売されたのだが、私は、そんな3年間分の車内誌「トランヴェール」を取っており、それを先日一気に読んだのだ。

 

それは、JR東日本のエリアの旅について書かれているのだが、私も行ったことがあるところについても多く取り上げられており、とても懐かしい気分に浸ったりした。

 

ちょうど、この連載が1冊の本にまとめられ、最近発売されたのだが、さらにその1か月ほど前に、セッションズと称した4冊にも渡る対談集が発売され、4月29日の祝日には、東京のFMラジオ局 J Waveで、そのセッションズをテーマとした沢木耕太郎本人が出演の特別番組が放送されていた。

それに気づいたのは、番組終了後だったのだが、ラジコのタイムフリーで聴くことができ、そんな沢木ワールドに浸りきったので、久しぶりに沢木耕太郎の本を読みたくなった。

 

ちょうどGWに入り、どこにも行くことができないので、私が最も感銘を受けた作品、「深夜特急」を読み返してみることにしたのだ。

 

GW初日の5月2日に読み始め、4日深夜に読み終えた。

香港からロンドンまで一気に駆け抜けた。

 

この作品と出会ったのは、私が大学生の時だ。

当時は、文庫版は出ておらず、単行本で全3巻読んだ。

なぜか1巻だけのちに紛失してしまい、後日単行本の1巻に該当する文庫版の1,2巻を買い、自宅の本棚にしまい込んでいた。

 

私は、本屋で買ったレシートを本に挟み込む癖があり、第2巻が1993年1月16日、第3巻が1月19日に購入していたことがわかった。

文庫版の第1巻は、1996年10月29日に購入しているので、この時に再読したのだろう。

 

最初に読んだとき、最終の第3巻を読んでいた時には、旅をできるだけ長く続けたくて、わざと読むのを遅らせていたことを覚えている。

 

そして、沢木耕太郎という人にすごく憧れを持ち、既にバックパックの旅をしていたが、ますます旅にはまり込んでいった。そして、沢木耕太郎深夜特急の旅に出た26歳という年齢を特に意識していた。

2回目に読んだのが、ちょうど26歳の時になる。おそらくそんな意識していた年齢になってしまったので、再読したのだろう。

 

そして、そのまま、私は、流されるように、サラリーマン生活を続けて今に至っている。

 

今回は、おそらく、1996年以来の再読だと思う。まさに、24年ぶりということになる。

思い出す場面、忘れている場面、いずれもあったが、旅気分を存分に味わい、とても楽しかった。

私の本当に好きなこと、したいことの原点を思い出された気がした。

 

そして、私は、そんな深夜特急に飽き足らず、自分のバックパックの旅の期間中に記述した日記(私は、勝手に「旅のノオト」と呼んでいた)を読み返した。

まともに読み返すのは、初めてではないだろうか?

 

最初の海外は絶対に船で行きたくて、船で行けるところを選んだ。そんな1991年夏の中国への4週間の旅から始まり、1992年春のヨーロッパ40日間の旅、そして1993年春のギリシャブルガリア・トルコ20日間の旅、最後には、就職してからになるが1998年6月~7月にかけてのウィーン・ブダペスト9日間の旅である。トータル4回に渡る「旅のノオト」をこれも深夜特急同様に一気に読み返したのだ。

 

本当に懐かしかった。これも、読み応え十分だった。

私は、その頃から、文章を書くことが好きだったようで、旅の間中、毎日、けっこうこと細かく、起こったことを記述していた。写真がすべて残っているわけではないが、このような文章が残っているのは、今となってはとても貴重なことに思う。まさに、自分にとっての紀行文になっているのだから。

 

30年近く前のことなので、忘れていることもあるが、けっこう覚えているものだ。いや思い出すものだ。

特に、旅の間中いろんな人に会っており、そんな人たちとのことが走馬灯のように思い出された。

 

当時は、夢も希望も持ち続けた、活動的な若者だったことがわかる。

当時の自分にとって、今の自分はどのように映るのだろうか?

 

四半世紀の時を超えて、いろいろと考えさせられるGWになったのだった。