沢木耕太郎が、「深夜特急」の旅を行うに当たって影響を受けたものが3つあるという。
小田実の「何でも見てやろう」、東南アジアを精力的に歩いていた竹中労のレポート、そしてポルトガルの海辺の町に1年半も住んでいたという檀一雄のエッセイや談話だそうである。
「檀」と聞いて何を想像するだろうか?
「檀」とは、檀一雄の檀である。
この作品は、檀一雄について書かれたノンフィクションである。
いや、それは正確ではないかもしれない。
「檀」とは、檀一雄の妻 檀ヨソ子を主人公とした檀ヨソ子と檀一雄の愛憎物語だ、といったほうがふさわしいだろう。
沢木耕太郎にとって、もともと檀一雄は、興味を抱かせるような作家ではなかったらしい。
ほとんど檀一雄の作品は読んでいなかったようだが、あるとき、新聞のコラム欄に書評を書く機会があり、そこで檀一雄の「火宅の人」を取り上げた。
「火宅の人」を一読し、微妙な違和感を覚え、その違和感を元に書評した。
そして彼は、その数年後に、檀ふみと話す機会があった。
「うちの母はまだ父のことが好きらしいんですよ」
何年にもわたって愛人と外で暮らしていた「火宅の人」と、5人の子供を抱えそれを耐え忍んでいた妻とは、終生冷たい関係のままだったように思っていた沢木耕太郎には、その言葉は意外なものに感じられた。
檀ふみから出てくる母親の話は、これがあの「火宅の人」の妻と同一人物なのだろうかと思うほど意外なものだったようだ。
檀一雄は「火宅の人」の中で、その妻を賢いけれど冷たい女性として描いていた。
世間の人の眼には、「火宅の人」という獄に幽閉されたままの人だろう。
沢木耕太郎にとって、「火宅の人」の妻 ヨソ子は、無実の罪を着せられた人のように思えてくるのだ。
檀ヨソ子の話をこのまま消させておくのはよくない。
「火宅の人」に閉じ込められたままの檀ヨソ子を誰かが救出しなくてはならない。
誰でもいい誰かが。
「私でもいいかもしれない」
そう思い、沢木耕太郎は、檀ヨソ子の自宅を訪ね、1年にわたって話をうかがうという作業を続けた。
そして、出来上がった作品が「檀」である。
書き手は当然、沢木耕太郎なのだが、文章はすべて檀ヨソ子の一人称で書かれている。
ヨソ子の生い立ちから、夫 檀一雄のこと、そしてその思い、葛藤を、自分が語るという形で描いているのだ。
いろんな場面が非常に具体的に表現されている。
その中でも、ポルトガル、サンタクルスの場面はこの物語のハイライトだろう。
50代後半になり、愛人との生活が終焉した檀一雄は、突然のように、ポルトガルの小さな海辺の町、サンタクルスに一人で住みつくことになる。
しかし、そこでの生活はアルコール三昧の日々であった。
人づてにそのような状況を聞かされたヨソ子は、いてもたってもいられなくなり、親類に借金をしてまで、一人で檀一雄のいるサンタクルスへ行くことを決意する。
今でこそ、海外旅行は珍しくないが、半世紀も前の1971年のことである。
それも、日本国内でも一人で旅行したこともない人が、直行便もない遥かかなたのポルトガルまでへの一人旅である。
そんなヨソ子の行動を檀一雄は受け入れる。歓迎する。
そんな夫婦ふたりきりのポルトガル、サンタクルスでの滞在は1か月以上におよぶ。
夫婦水入らずのサンタクルスでの生活が、お互いの関係において大きな意味を持つこととなった。
沢木耕太郎にとって、かつての壮大な旅に出るに当たって影響を受けた檀一雄のポルトガル。
ここで見事に繋がるのだ。
檀一雄が生活していたころから四半世紀の時を越えて、沢木耕太郎自身は、そのポルトガル、サンタクルスを訪れている。
海を見下ろす広場に建てられた文学碑や、ダン通りと名付けられた道、そして檀一雄が住んでいた家などを見てきている。
その内容は、「一号線を北上せよ」の中の「鬼美」に書かれている。
さて、話を「檀」に戻そう。
ヨソ子にとって、このような思いを、第三者である沢木耕太郎へ伝えることは、どのようなものだったのだろうか?
思い出したくもない過去の情景ばかりだったのかもしれない。
しかしながら、このような作業を行ったからこそ、理解できたこともあったのではないだろうか?
それは、30年にも渡る夫と積み上げてきた日々を思い出すかえがえのない作業だったのかもしれない。
それにしても、丁寧に紡ぎあげられている。
檀一雄の歴史がよくわかる。
そして、檀一雄という存在、もしくは檀一雄の作品からヨソ子がどのようなことを被ったか、また、どのように傷つき感じられたかが、痛いほどに表現されている。
檀一雄には、「火宅の人」で描写されている愛人との愛憎生活が確かにあり、それは檀一雄の中で大きな存在になっていたのは間違いないことだろう。
しかし、この「檀」は、檀一雄のそういったことのすべてを最終的に受け入れた檀ヨソ子と、そんな檀ヨソ子に頼り切っていた檀一雄の愛情物語になっている。
ヨソ子にとっては、辛く大変な作業だったかもしれない。
しかし、この「檀」が作品化されたことにより、「火宅の人」という獄から解放され、無実の罪を晴らすことができたことは間違いないだろう。
それ以上に、檀ヨソ子にとって、人生の理解者を得ることができ、それが大きな喜びになったことは想像に難くない。
(2020年7月24日読了)
(2020年9月10日記)