【文学】沢木耕太郎 「王の闇」 「敗れざる者たち」の続編的な作品。「敗れざる者たち」、そして「一瞬の夏」との連動性を十分に楽しめる極上のスポーツノンフィクション。
5篇のスポーツノンフィクションから成る。
この「王の闇」は、それほど知名度は高くないと思うが、前作「敗れざる者たち」に勝るとも劣らない作品だ。
今、ここに、「敗れざる者たち」を前作と書いた。
「敗れざる者たち」は1976年に刊行されており、沢木耕太郎のスポーツノンフィクションの代表作といえるだろう。
「王の闇」は、「敗れざる者たち」から13年の時を経た1989年に刊行されている。
10年以上の月日は経っているが、収録された5篇のうち、瀬古利彦を題材にした「普通の一日」はかなり後に書かれているが、それ以外は1970年代後半に書かれており、1970年代前半に書かれた「敗れざる者たち」の続編といってよい作品となっている。
ボクシングを題材に取ったものが多いこともあり、内容面でも、「敗れざる者たち」、そしてボクサー カシアス内藤を主人公にした「一瞬の夏」と絡み合っている。
沢木ファン、ボクシングファンにはたまらない内容となっており、私も大変興味深く、そしてとても楽しく読んだ。
また、テーマも「敗れざる者たち」同様、かつて栄光を掴んだ者の下り坂、もしくは輝ききれなかった影の部分について書かれている。
5篇の概要は以下の通り。
( )内は競技名と扱われた人物名。
1.ジム(ボクシング、大場政夫)
3.コホーネス〈肝っ玉〉(ボクシング、輪島功一)
4.ガリヴァー漂流(相撲・野球・ボクシング・プロレスなど、前溝隆男)
5.王であれ、道化であれ(ボクシング、ジョー・フレイジャー)
内訳は、ボクシング3篇、陸上1篇、そしてその他1篇となっている。
「敗れざる者たち」が、ボクシング2篇、野球2篇、陸上1篇、競馬1篇となっているので、いかにボクシングの比重が高いかがわかる。
ボクシングの3篇は「PLAYBOY」に、その他の2篇は「Number」で掲載されたものだ。いずれも非常に質の高い雑誌である。
「ジム」は、世界チャンピオンのまま自動車事故で夭逝したボクサー 大場政夫についての話である。育ての親でありマネージャー 長野ハルの一人称で書かれていることが印象的だ。そして長野ハルと対比させるような形で、大場政夫の父親の視点が最後に描かれている。
この長野ハルは、「一瞬の夏」にも出てくる。
沢木が、カシアス内藤のプロモーターをやろうとしているときに相談に行った相手だ。
また、沢木の長編小説「春に散る」の中にも、長野ハルをモデルにしたであろう女性マネージャーが出てくるのだ。
この辺りは、読んでいて非常におもしろく感じるところだ。
「普通の一日」は、陸上 マラソン競技の瀬古利彦についての話だ。
最初、私は、瀬古と彼の師匠だった中村清について書かれたものかと思ったが、実際には、瀬古が引退し、エスビー食品陸上部の監督になったばかりの時代のものだった。
この作品だけが、他の文章と作成時期が異なっているため、そのような錯覚に陥ったのだろう。
沢木耕太郎にとって、瀬古利彦ほど取材対象としてふさわしい人はいないかもしれない。
その風貌、境遇からして、どうしても、「敗れざる者たち」で取り上げた円谷幸吉と重なるからだ。
しかし、瀬古と円谷は違った。
異なる要素はいくつかあるが、その最大のものは結婚だろう。瀬古は、いい時期に結婚できた。奥さんの存在に瀬古は救われることになる。
そして、この文章が書かれた当時の人が、今の瀬古利彦を見れば、さらに驚くことになるだろう。マラソングランドチャンピオンシップを成功させるなど、日本陸連や解説者として、大活躍している姿を想像した人がいただろうか。
ここでも、瀬古利彦を題材にしたことで、円谷幸吉を題材にした「敗れざる者たち」との関連性を感じることになる。
「コホーネス〈肝っ玉〉」は、「敗れざる者たち」の「ドランカー〈酔いどれ〉」の続編ともいえる作品だ。
「ドランカー〈酔いどれ〉」の文章ほど感動したものはない。
この輪島功一が柳済斗と闘った1976年2月17日に日大講堂で行われた試合。
この沢木耕太郎のボクシング観戦記には震え上がらせられた。
「コホーネス〈肝っ玉〉」は、この柳済斗戦の後の輪島功一について描かれている。
二度とあのような震え上がる試合はできなかったが、最後の最後に、輪島功一の生き様を理解することになる。
「ガリヴァー漂流」は異色の作品に見えるかもしれない。
前溝隆男という日本人の父とトンガ人の母から血を引いている人物の生涯について述べられている。
前溝隆男は異色の経歴の持ち主だ。
相撲取りとしてキャリアを始め、プロ野球、ボクシング、プロレスといった世界に関わることになる無名に近い存在にスポットライトを当てた。
これは、雑誌「Number」の創刊を記念して、書いたものとのことだ。
アメリカの「スポーツ・イラストレイティッド」との提携誌ということで、夢の雑誌の誕生を祝ったようだ。
1980年のこの雑誌の誕生を、沢木耕太郎が喜んだことは容易に理解できる。
私がこの雑誌を知ったのは、高校の文化祭での古本市でだった。
何冊か出ており、こんな雑誌があるのか、と感嘆したことを覚えている。1987、88年頃のことだ。
この雑誌は今でもあるが、本当に素晴らしいと思う。
何より写真がいい。これほど写真にフォーカスしている雑誌はなかなかないと思う。
そして、そんな写真に負けない、ふさわしい硬派な文章がとてもいいのである。
そして、最後の「王であれ、道化であれ」だ。
この作品が、この「王の闇」のハイライトと言えるだろう。
時は、1978年9月15日。
そうなのだ。これは、レオン・スピンクスとモハメッド・アリとの闘い、いわゆる「ザ・バトル・オブ・ニューオーリンズ」が行われた場所であり、ときである。
しかし、この文章の主役は、スピンクスでもアリでもない。
ジョー・フレイジャーなのだ。
モハメッド・アリ、レオン・スピンクス、そしてジョー・フレイジャーは、その当時のボクシングヘビー級の王者たちである。
その3年前、「スリラー・イン・マニラ」と呼ばれた、モハメッド・アリとジョー・フレイジャーとの素晴らしい闘いをこの眼で観た沢木耕太郎。
この「ザ・バトル・オブ・ニューオーリンズ」の前夜にジョー・フレイジャーが歌手としてショーを行うとの情報を得る。
3年前、負けはしたが見事な闘いを演じたジョー・フレイジャー。
その戦後を確かめたい沢木耕太郎は、ジョー・フレイジャーのマネージャーに事前にインタビューの承諾を得る。
しかし、そのショーが行われるというライブハウスは、驚くほどにうらさびれたものだった。
予想もしなかったほどに辺鄙な場所にあったライブハウス。
日時を指定され、行ったものの、マネージャーはインタビューのことをジョー本人には伝えていなかった。
控室にいたジョー・フレイジャーは、これがあのジョーか、と思うほどに変わり果てていた。
そんなジョーが発した最初の言葉は、”How much you pay?”というものだった。
ジョーの口から出てきたものは「金」だったのだ。
これには沢木耕太郎も幻滅することになる。
そしてその流れから金額交渉することとなるが、もうインタビューは必要ないと思い決めてしまう。
結局、インタビューを断念し、ステージだけ見て帰ることにする。
しかし、そのステージというのは、しらけたものであり、わびしいものだった。
ジョー・フレイジャーとモハメッド・アリの2つの試合(ジョーが勝った1971年NYマジソン・スクエア・ガーデンの試合と、ジョーは敗れたが見事な闘いを魅せた1975年のスリラー・イン・マニラの試合)と、今眼の前にあるジョーのステージが錯綜する。
ジョーが輝いていたとき、そして、今眼の前にいるジョー。
沢木の心を震え上がらせたジョー。
よく闘ったものがよく戦後を生きられる。そうであるはずだと思っていたが・・・。
「一瞬の夏」の中にも、この「ザ・バトル・オブ・ニューオーリンズ」を観に行く場面は出てくる。
ちょうどカシアス内藤と再会した直後のことであり、ある種の印象的な位置づけになっている。
しかし、このうらさびれたライブハウスでのジョー・フレイジャーとのやり取りは、ほんの2,3行で済まされている。
この2つの作品での連動性。
十分に楽しませてもらった。
沢木耕太郎の文章の、新たな楽しみ方を知ることができたのだった。
(2020年9月16日読了)
(2020年9月18日記)