【文学】沢木耕太郎 「旅する力 深夜特急ノート」沢木耕太郎を最もよく知れる作品。旅がもっと好きになる。自分の旅を作り上げよう。
そんな「深夜特急」を学生時代に読み、そして今年のゴールデンウイークにおよそ四半世紀ぶりに読み返した。
「深夜特急」を初読し、そして私自身もバックパックで旅をしていた若い頃を思い出した。懐かしく、みずみずしい思いが溢れてきた。
そして、そんな「深夜特急」の旅の背景を記した「旅する力 深夜特急ノート」については、その存在すら知らないほどだった。
これは、この本が刊行された2008年11月、そして文庫化された2011年5月にはいずれも私自身が海外に在住していたということもあったと思う。
今年のゴールデンウイークに久々に「深夜特急」を読み、改めて感動した私は、それを契機に再度沢木耕太郎の本を読み始めた。
そして、6月にこの「旅する力 深夜特急ノート」を読んだ。
そして3か月を経て、再び、改めてメモを取りながら読んでみた。
というのも、5月からいろいろな沢木耕太郎の作品を読んできて、どうしてもあらゆる作品が書かれた時期、書いたときの気持ち、状況などを改めて知りたいと思ったからだ。
3か月前に読んではいたが、そのときよりも数倍楽しく、そして数倍心に響いた。
最近、何かに取り憑かれたかのように本を読んでいる。
その中で感じることが、本と旅の関連性である。
本は、それを読むことにより、異なる様々な世界に入っていける。
旅は、さしずめ、それを物理的に行うことなのだ。身を持って異なる様々な世界に入っていくことができる。
そういうこともあり、改めて、旅そして本は私のもっとも好きなこと、ライフワークにしたいことであると、強く感じている。
この本は、まず「旅とは何か」というところから入っている。
旅は、始まりがあり終わりがある。だから旅は人生に例えられるのだが、人生と同様に、そこに「旅を作る」という余地が生まれる。
「旅は旅をする人が作るもの」
とても印象的な言葉だ。
そして、沢木耕太郎自身の生い立ちと旅との関連性についてだ。
小学生の時に、友達が家族で行くという「松坂屋」に一人で行ってみたことから、中学3年の時に一人で大島へ行ったが一泊もせずに逃げかえるように帰ってきてしまったこと。
そして、高校から大学にかけては、国鉄の周遊券を利用して、日本中を一人で歩いていたこと。
そんなことが綴られている。
そして、大学を卒業後、どのようにして新進気鋭のルポライターとして羽ばたいていったのかが、非常に具体的に記されているのだ。
初期のルポルタージュなどの作品で、ある程度のことは知っていたが、それがより具体的な形で繋がっていく。
これは、沢木ファンにはたまらないぐらいにおもしろい。
この作品のハイライトは、何といっても「深夜特急」の旅の、「深夜特急」には書ききれなかった旅のエピソード、裏話だろう。
これは、読者の期待を裏切らない。いや、読者の期待以上のものになっている。
そして、「深夜特急」の旅の後、「深夜特急」の旅を作品化するまでに至る過程が、これもこと細かく記されている。
「深夜特急」の旅は、1974~75年に約1年間かけて行われた。
その旅の様子は、TBSラジオの「パックインミュージック」という番組で紹介されていた。
これは、沢木耕太郎がその番組のDJである小島一慶に宛てて度重なる手紙を書き、それを元に小島一慶が番組で紹介していたようだ。
さしずめ、その旅の最中にいわばリアルタイムで紹介されていたのだ。
当時、私はまだ4歳ぐらいなので、そのようなラジオ番組を聴く術も知る余地はないのだが、当時リアルタイムで聴いていた人は、すごい衝撃を受けたことだろう。
そして、旅から帰国後、その「パックインミュージック」に出演し、旅の話を5週に渡ってすることになる。
リスナーからの反響により、この旅が自分自身だけでなく他人にとってもおもしろいのかもしれない、という実感を持つようになる。
文章としては、創刊して間もない雑誌「月刊PLAYBOY」1977年2月号(1976年12月発売)に「飛行よ!飛行よ! 香港流離彷徨記」という題名で、香港での出来事を中心に発表されている。
「月刊PLAYBOY」は、沢木氏自身が初めて自分が書きたいと思った雑誌とのことである。
この雑誌は、2009年1月号をもって休刊しており、現在刊行していない。
非常に質の高い雑誌だったと思う。
このような質の高い雑誌が今読めないことはとても残念に感じる。
その後、小学館の新雑誌「クエスト」に「絹と酒」という題名で、シルクロードの旅について、ギリシャからイタリアに渡るフェリーの中での書いた手紙をもとにした文章を発表している。
そして、旅から10年の時を経て、1984年6月から産経新聞に1年間の予定で新聞小説欄に連載されることになる。
新聞小説にノンフィクションの紀行文を連載するというのもなかなかないことだろう。
しかし、沢木耕太郎は、以前にも、ボクサー カシアス内藤を主人公に自分自身との関わりを自分自身の視線で捉えたノンフィクション作品「一瞬の夏」を朝日新聞で連載した経験があった。
「1年間の旅を1年間かけて書く」というのもいいだろう、ということで連載を始めることになった。
この時、私は中学2年生だった。
私の家では産経新聞は取っていなかったし、当時新聞小説など読んだこともなかったと思う。そのため、残念ながら新聞小説としての「深夜特急」について知る由もなかった。
そんな「深夜特急」の連載だが、1年間ではとても終わらず、次の池波正太郎氏の小説が控えているということもあり、結局翌1985年8月までの1年3か月で終了。終着のロンドンまでは辿り着けず、イスファハンまでとなってしまった。
そして、香港からイスファハンまでを「第一便」「第二便」の2冊組として、1986年5月に単行本として刊行している。
そして、残りのロンドンまでのヨーロッパ編、「第三便」は実にその6年後の1992年10月に刊行されるのである。
私が「深夜特急」に出会ったのが、この「第一便」から「第三便」に渡る3冊組の単行本だった。6冊組の文庫化される前だった。
表紙のカッサンドールの絵を使った平野甲賀氏による装丁がかっこよく、とても印象的な本だった。
私は、買った本にレシートを挟む癖がある。
残念ながら、「第一便」はなぜか紛失してしまい手元にないので、残念ながら買った日にちを確かめることができない。
しかし、「第二便」「第三便」は大切な蔵書として私の本棚にある。
「第二便」が1993年1月16日、「第三便」が1月19日に購入していることがわかる。
ということで、私が大学3年の冬に購入し読んだことがわかる。
今考えてみると、おそらく、「第三便」が発売されたことにより、「深夜特急」の存在を知ったのだと思う。
そして、当時、この本に魅せられて、熱中して読んだことが思い出される。
当時の私は、勉強よりもサークルやアルバイトに精を出す大学生活を送っていた。
そして、夏休みや春休みといった長期休暇の際には、国内外問わず、旅に出ていた。
国内では、青春18きっぷを活用し、京都で大学生活を送っていた小中高が一緒だった友人宅に図々しくもおしかけたりしながら、鈍行列車の旅を楽しんでいた。
そして、やはり海外への憧れは強く、最初の海外は絶対に船で行きたいと思っていた。
1991年の夏、大学2年の時にサークルの先輩と二人で約4週間に渡り船で中国へ行った。それが私にとって初めての海外だった。
中国語のできない私と先輩は、旅先でいろいろな人の助けを受けることになった。
日本人のバックパッカーも多かったが、現地の人たちともふれあった。
今の大学生はどうなのかわからないが、私が大学生の頃は、バックパックの旅というのが結構流行っていて、「地球の歩き方」というガイドブックを片手に海外に旅に出るという若者は多かった。
私も、そんな若者の一員となった。
何より私にとっての最大の発見は、異国で異邦人になることの楽しさを知ったことだった。
こんなに楽しいことはないと思うぐらいの楽しさだった。
早く次の旅に出たい。そして、次は絶対一人で旅に出よう。と、必死で何種類ものアルバイトをして、それから半年後の1992年の春、大学2年と3年の間に、ヨーロッパをトータル40日間かけて一人で回ってきた。
航空券だけ購入して、あとは自由だ。街に着いたらまずは宿探し。あとはひたすら街を歩いていた。ある程度の計画は立てていたが、好きな時に好きなように過ごせる。
今思い起こしても、この旅が、私にとって最も旅らしい旅といえるのではないだろうか。
その次には、その1年後の1993年の春に、ギリシャ、ブルガリア、トルコの3か国を20日間かけての旅に出ている。
ということで、私が「深夜特急」に出会ったのは、まさに私がバックパックの旅にはまりきっていたヨーロッパの旅の後、ギリシャ、ブルガリア、トルコの旅の前ということになる。
これで、ますます私の旅心に火をつけることになったのは言うまでもない。
しかし、沢木耕太郎の「深夜特急」の旅と私のせいぜい40日程度のバックパックの旅ではレベルが違いすぎる。
そんな「深夜特急」に影響を受けた私は、沢木耕太郎が「深夜特急」の旅をした26歳という年齢を自然と意識するようになっていた。
大学卒業後一般企業に就職した私は、入社数年後に26歳を迎えるが、サラリーマン生活を変えることはしなかった。できなかった・・・。
そんな私が26歳になった頃に、「深夜特急」のドラマが放映された。
1996年から98年の間に3回に渡り「劇的紀行 深夜特急」という題名で、沢木耕太郎の役を大沢たかおが演じた。
そのような縁で、大沢たかおと沢木耕太郎の対談も、この本の巻末に載せられている。
このドラマを、当時リアルタイムで見ているが、改めて見たいと思った。
さて、この本「旅する力 深夜特急ノート」は、「深夜特急」の愛読者にはたまらない本であることはいうまでもない。
しかし、それ以上に、沢木耕太郎という人物、通ってきた道、仕事ぶりをもっともよく知ることのできる作品だと思った。
「深夜特急」の旅を行ううえで影響を受けたり、旅について考える契機になった書物がたくさん言及されている。
これは本好きにとっても、とてもうれしいことである。
それらの書物を紹介しておこう。
アン・タイラー「夢見た旅」、「アクシデンタル・ツーリスト」
ジョン・スタインベック「チャーリーとの旅」
小田実「何でも見てやろう」
前川健一「旅行記でめぐる世界」
フレデリック・ブラウン「シカゴ・ブルース」
ポール・ニザン「アデン アラビア」
檀一雄「風浪の旅」
エリアス・カネッティ「マラケシュの声」
ビリー・ヘイズ、ウィリアム・ホッファー「ミッドナイト・エクスプレス」
竹中労「東南アジアレポート」等
などである。
この「旅する力 深夜特急ノート」を読んで、私も30年近く前にしたいくつかの旅について、文章にまとめてみようかな、と強く思ったりした。
やはり旅はいい。
旅を文章にするということも、旅の一つの形である。
文章もある種の芸術だと思う。
沢木耕太郎の文章を読むといつもそう思う。
「恐れずに、しかし気をつけて」
旅をしようとしている人に対する沢木耕太郎からのメッセージである。
私も改めて、私の旅を作り続けていきたい、と強く思ったのだった。
(2020年6月20日読了、9月23日再読)
(2020年9月28日記)