【文学】沢木耕太郎 「セッションズ〈訊いて、聴く〉Ⅲ 陶酔と覚醒(旅・冒険・スポーツ)」 「する」と「みる」のはざまで揺れ動く。そんな視点はとても合点がいくものだった。
東京のFMラジオ局J Waveでは、毎年12月24日クリスマスイヴの深夜0時から、沢木耕太郎による生放送の番組が放送される。
しかし、それ以外に、沢木耕太郎の生放送の番組がJ Waveで放送された。
今年4月29日、昭和の日のことである。
テーマは、「セッションズ」。
沢木耕太郎が出して間もない作品にちなんでだった。
私は、この番組の存在を4月29日を過ぎた数日後に知った。
今は便利な時代だ。ラジコというインターネットで聴けるサービスがある。
タイムフリーといって、放送日を過ぎても1週間以内なら、ほとんどのラジオ番組を聴くことができるのだ。
私は、さっそくラジコで、沢木耕太郎のセッションズと称する特別番組を聴いた。
そして、ぜひその本を読んでみようと思った。
沢木耕太郎は現在72歳。今年11月には73歳になるが、作品への制作欲はまったく衰えていない。
最新刊は、今年4月に新潮社から発売された「旅のつばくろ」。
これはJR東日本の新幹線社内誌「トランヴェール」で連載されているものをまとめて作品化されたものである。
私は、仕事柄、今年の3月まで東北新幹線を使う機会が多かったので、「トランヴェール」は愛読していた。そして連載されている「旅のつばくろ」は毎号楽しみに愛読していた。
そんな「旅のつばくろ」に先駆けて発売されたのが、J Waveの特別番組にもなった「沢木耕太郎 セッションズ〈訊いて、聴く〉」だ。
4冊のシリーズものになっており、今年3月および4月に岩波書店から発売された。
沢木耕太郎の作品が岩波書店から刊行されるのは初めてではないだろうか?
「セッションズ」というタイトルが目を引く。
沢木氏ともう一人(一組)が一緒になり、話をしながら場を作り上げていく。それは、沢木氏いわく、「インタビュー」「対談」という言葉ではしっくりしない。もっともしっくりくるのが「セッションズ」ということなのだ。
二人(二組)で自由に言葉を使って場をつくり出していく。それはまさにジャズなどの音楽におけるジャムセッションのように、ということなのだ。
そんな「セッション」が、4巻に分かれて刊行された。
4巻それぞれのタイトルは以下の通り。
Ⅰ 達人、かく語りき(人物)
Ⅱ 青春の言葉たち(青春)
Ⅲ 陶酔と覚醒(旅・冒険・スポーツ)
Ⅳ 星をつなぐために(フィクションとノンフィクション)
過去に行われた「セッション」を、上記のようなテーマごとに分類されている。
私は書店でこれら4冊を手に取り、1冊買うことにした。
しかしどれを選ぶか?
どれも興味深く甲乙つけがたい。
結局、一番興味深い内容が多そうな、Ⅲ巻を買うことにした。
この本には、以下の10人(組)との「セッション」が収められている。
( )内は、職業と発表媒体。
山口 瞳(作家、「Number」1984年6月5日号)
市川 崑(映画監督、「青春と読書」1998年6月号)
後藤 正治(ノンフィクション作家、「Number」の『ベスト・セレクションⅢ』1998年9月刊行)
白石 康次郎(海洋冒険家、「ポカラ」1999年秋号と2000年冬号に分載)
安藤 忠雄(建築家、「太陽」2000年2月号)
森本 哲郎(ジャーナリスト、森本哲郎著「サハラ幻想行」新版2002年2月刊行)
岡田 武史(サッカーチーム・オーナー、「AERA」2002年5月13日号)
山野井 泰史・山野井 妙子(共に登山家、「週刊現代」2004年5月1日号)
山野井 泰史(登山家、「山と渓谷」2010年9月号)
角田 光代(作家、「オール読物」2013年3月号)
過去、それもかなり古いものからごく最近のものまで含まれている。
旅やスポーツといった私がもっとも好きな分野なのだが、不思議と過去に読んだことのある文章は一つもなかった。
それぞれ、各分野における第一人者だ。
それぞれのパートを興味深く読んだ。
個人的にはサッカーが大好きなので、岡田武史との対談はとても興味深かった。
そして「凍」を読んだばかりなので、山野井夫妻とのパートもとてもおもしろかった。
しかし一番感銘を受けたのは角田光代とのパートだったかもしれない。
ボクシングがテーマで、「一瞬の夏」のカシアス内藤の息子の話まで出てきて、また角田光代の書いたボクシング小説「空の拳」もぜひ読みたいと思った。
最後に沢木耕太郎自身による書き下ろしのエッセイが入っている。
Ⅲ巻のテーマは、『「みる」ということ』についてだ。
「みる者」と「する者」という視点がおもしろいし、合点がいくものだった。
私自身も常に、「する」と「みる」の間で揺れ動いている。
旅が、「する」と「みる」を二つ合わせ持つ存在、そして「する」と「みる」との二項対立から解き放ってくれるもの、というのはよくわかる気がする。
また、『「する者」としての私が「する」行為は、「みる者」としての私が「かく」という行為をすることで、初めて完結することを知った』というくだりがある。
これはまさに、書くことが好きな、そしてあらゆる自分自身の体験を書かずにはおられない私自身にもあてはまるものだと思った。
沢木耕太郎の奥深さを再認識するものだった。
(2020年7月30日読了)
(2020年9月4日記)