旅と劇場とスタジアム   ~アーティスティックライフに憧れて~

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【文学】沢木耕太郎 「凍」 これほど過酷で絶望的なことがあるだろうか?壮大かつ壮絶な物語は、ノンフィクション作品の極みだと感じた。

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沢木耕太郎の代表作として、この作品を挙げる人も多いだろう。

この作品「凍」は、2005年に刊行され、2006年に講談社ノンフィクション賞を受賞している。

 

「凍」というタイトルが印象的だ。

この作品は、世界的登山家である山野井泰史・妙子夫妻が、2002年秋に行ったヒマラヤの難峰ギャチュンカンへ登頂した際の壮絶なノンフィクションである。

 

沢木耕太郎には、スポーツノンフィクションを多く書いている。

登山という世界に私は詳しくないのだが、分野としてスポーツに含めてもいいのだろう。

 

沢木耕太郎が山野井夫妻と接点を持ったのは、この難登攀 ギャチュンカンから帰国して間もない頃、山野井夫妻が凍傷の手当のために入院していた白鬚橋病院でだった。

山と渓谷社の編集者に紹介されるという形だったのだ。

 

その後、2004年に山野井泰史は、自身の登山についてまとめた書物「垂直の記憶」を刊行する。ギャチュンカンへの登頂は、その最終章で披露されている。

この題名の名付け親のひとりが沢木耕太郎だった。

 

その本の発売を記念して、プロモーションも兼ねて、「週刊現代」誌上で対談することになった。

この対談の内容は、今年4月に岩波書店から刊行された「沢木耕太郎セッションズⅢ」に収録されている。

 

この対談で、山野井泰史の生き方、登山家としての考え方などが披露されるとともに、話題は難登攀だったギャチュンカンの話を中心に繰り広げられている。

 

沢木耕太郎は、その対談をきっかけに「凍」という作品を書こうと決意した。

 

私は、登山と呼べるほどのことはしていない。

せいぜいハイキング程度の山登りをする程度である

 

この本を読むと、登山というものがどれほど過酷で危険かということを、痛感させられる。私がやっていることは、とても登山とはいえない。

「登山」という言葉を軽々しく使ってはいけないような気がする。

 

登山にも、いくつか種類があるが、山野井夫妻の行っているのは、アルパイン・スタイルというものだ。

 

ヒマラヤのような8,000メートル級の山に登るために、一般的に取られる方法は、極地法というものである。

これは、最初にベースキャンプを設け、その後、前進キャンプを設営し、そこへの荷揚げが重要な作業となる。大人数で行い、最終的に少数の隊員が頂上を目指すことになる。

 

一方のアルパイン・スタイルは、ベースキャンプから一気に頂上を目指し、短期間で戻ってくるもので少人数もしくはソロで行う。装備に極力頼らず、人の力にのみで行うことを最重要視したものである。

山野井泰史は、これをソロ(一人)もしくは、妻の妙子との二人で行っている。

 

「ソロ」は、山野井泰史の山の登り方だが、生き方のスタイルでもある。

 

「ソロ」というのが、沢木耕太郎山野井泰史の生き方における共通点であり、だからこそ、二人は惹かれ合うのだと思う。

 

ギャチュンカン攻略において、山野井泰史は、当初、北東壁をソロで登ろうとしていた。

しかし、安全面を考え、北壁を妻 妙子と二人で登ることにする。

 

話は、二人の生い立ち、考え方から始まり、ギャチュンカン登頂の一部始終が描かれている。

 

ギャチュンカン登頂のパートは、手に汗握る連続となる。

登山というものが、これほど過酷で危険なものだとは知らなかった。

 

ベースキャンプを出発してからは、夫婦二人だけの行程となる。

高山病の症状に苦しむ妻 妙子。

一人で頂上を目指す夫 泰史。

下山に際し、自然現象、精神状態、あらゆるものに苦しめられる二人。

もう何度、ダメだと思ったことか。

これほどの過酷があるだろうか。

私のような素人からみたら、生還できたことが奇跡としか思えない。

 

二人とも、奇跡の生還を果たすも、凍傷で手足の指の多くを失うことになってしまう。

 

登山家にとって、手足の指を失うということは、登山生命を絶たれると言っても過言ではない。

しかし、山野井泰史・妙子は、絶望しない。

弱音を吐かず、誰もが驚くことに、指を失った状態で、登山活動を再開させる。

 

そして、最後の章で、年を経てギャチュンカンを再訪する。

二人よりかなり年長の登山経験のまったくない日本人男性、つまり作者 沢木耕太郎を同行者として。

 

これだけの壮大かつ壮絶な物語。

2年以上という月日を経て、当時の出来事を思い出す山野井夫妻。

それを根気よく聴き取り、躍動感ある文章で表現する沢木耕太郎

この作品は、彼らの絶妙なハーモニーのように感じられる。

 

この壮大かつ壮絶な物語は、ノンフィクション作品の一つの極みと言えるだろう。

 

感動させられた。

 

(2020年7月28日読了)

(2020年9月8日記)