旅と劇場とスタジアム   ~アーティスティックライフに憧れて~

旅、温泉、飲み歩き、音楽、ミュージカル、ラジオそしてサッカー・スポーツ観戦が大好きなサラリーマンによる雑文記。日々の想いをつづっていきます。

【文学】沢木耕太郎「 若き実力者たち」 約半世紀前の若き実力者12名についてのルポルタージュ。若き作者の情熱的な取材力・洞察力が光る。

ここ数か月、沢木耕太郎の作品を読み続けている。

沢木耕太郎といえば、最近は小説も書いているが、やはり肩書はノンフィクションライターと言えるだろう。

 

ノンフィクションといってもいろいろある。

作者自身による紀行文、取材を元に人物等を徹底的に洞察するルポルタージュ、そして対談集など様々である。

多くの人がそうであるように、私も「深夜特急」から入ったせいもあるだろう、特に紀行文が好きなのだが、作者自身はルポルタージュから入っている。

 

沢木耕太郎のデビュー作は、1970年の「防人のブルース」だが、作品としてまとめられたものとしては、1973年に発表されたこの本がデビューとなる。

 

私は買った本にレシートを挟む癖があるが、この本は2003年2月に購入していた。

今回、本棚に置かれていたものを取り出して読んだのだが、おそらく2003年に購入した際にはほとんど読んでなかったと思う。内容をまったく思い出せなかったからだ。

 

この作品は、当時各分野で活躍していた12名の若手実力者に対し、作者自身が取材を行い、分析し、深い洞察力で文章をまとめている。

若き実力者12名は、以下の通り。

 

尾崎 将司(プロゴルファー)

唐十郎(劇作家)

河野 洋平(政治家)

秋田 明大(学生運動家)

安達 瞳子華道家

畑 正憲(作家、動物愛好家)

中原 誠(将棋棋士

黒田 征太郎(イラストレーター)

山田 洋次(映画監督)

堀江 謙一(海洋冒険家)

市川 海老蔵(歌舞伎役者)

小沢 征爾(指揮者)

 

今から約50年前に活躍していた若き実力者だ。

私が生まれて間もない頃で、2名ほど知らなかったが、ほとんどが知っている人だった。

その後の現在、つまり50年後と比較しながら、興味深く読んだ。

 

それにしても、若干25歳の若者が、同年齢に近いとは言え、これだけの大物に対し取材を行い文章としてまとめ上げる。質・量ともに簡単なことではない。

 

そして、解説は、かの井上陽水(ミュージシャン)だ。

コネクション力が尋常ではない。

 

毎回、沢木耕太郎には脱帽されっぱなしだ。

 

(2020年8月29日読了)

(2020年9月2日記)

f:id:kimissk:20200906024750j:plain

【文学】沢木耕太郎再読第2弾は、本棚から「一瞬の夏」を選んだ。

f:id:kimissk:20200524005200j:plain


今年のゴールデンウィークに四半世紀ぶりに「深夜特急」を読み完全に沢木耕太郎ワールドに嵌った私は、久しぶりに本を読む楽しみを味わった。

この楽しみを続けるために、沢木耕太郎の本をひたすら読もうと思ったのだが、何となく、小説を読んでみたいと思った。私は、いまだに沢木耕太郎の小説を読んでいないことに気づいた。

 

何となく、最近文庫化された数年前に朝日新聞に連載されたボクシングを題材にした「春に散る」を読みたいと思ったが、本棚を眺めてみると、読もうと思って買っておきながらいまだに読んでいない本もいくつかあった。

そんな中に「一瞬の夏」の上下巻があった。

そうか、ボクシングの小説を読む前に、ボクシングのノンフィクションを読むのも悪くない、と思い、そんな「一瞬の夏」を読み始めたのだった。

 

読み始めたは5月10日だったが、この日がその作品の主人公、カシアス内藤の誕生日だと知り、また、舞台の一部が私の住んでいる街のすぐ近くということで、不思議な縁のようなものを感じた。

 

沢木耕太郎がボクサー、カシアス内藤のマネージャー、プロモーターのようなことを一時期やっていたことは知ってはいたが、その一部始終を知ることができ、改めてすごい人だと思った。

 

私は、以前、沢木耕太郎の名著「敗れざる者たち」は読んでいる。

その冒頭を飾っている「クレイになれなかった男」からカシアス内藤については知っていたが、その「クレイになれなかった男」はほんの60ページ程度の短編だった。

 

しかし、「一瞬の夏」は上下巻に渡る超大作だ。

時期はちょうど「深夜特急」の旅のすぐ後で、その当時の沢木耕太郎をめぐる環境がこと細かく記述されており、とても興味深かった。

そんな中での、ボクサー、カシアス内藤に興味を持った沢木耕太郎は、とことんまでカシアス内藤にこだわりを持つようになり、自ら私財を投げ打って、マネージャー役を買って出ることになる。

 

私もスポーツは大好きなので、ひいきのチーム、選手を自らの手で作り上げていきたいという気持ちはよくわかる。

しかし、門外漢のものが簡単にできることでないことは誰でもわかることだ。

特にボクシングは、まさに興行の世界なので、海千山千のプロモーターと呼ばれるような人たちの世界に踏み込んでいかなければならない。

そんな世界に、一人で自ら入り込んでいくのだから、相当な行動力だ。

単に文章がうまいルポライター、ノンフィクションライターといったものではなく、鋭い取材力から来るのだろうか、行動力、ネットワーク力は、改めて相当なものだと思った。

 

ノンフィクションなので、ハッピーエンドになるとは限らない。

結末を知らなかったので、小説を読むように、貪りつくように読んだのだった。

 

 

【文学】沢木耕太郎「深夜特急」を四半世紀ぶりに再読。自分の原点を思い出すゴールデンウィークとなった。

f:id:kimissk:20200510015054j:plain

私の最も大切な蔵書 沢木耕太郎深夜特急


好きな作家は、と聞かれたら、間違えなく沢木耕太郎と答える。

沢木耕太郎は私にとって、特別な作家だ。

私は、沢木耕太郎の生き方にずっと憧れ続けていた。

 

私は、2017年4月からこの3月まで丸3年間、仙台で勤務しており、自宅のある横浜と仙台を行ったり来たりしていた。

その際に利用していた東北新幹線の各座席には、普通車にも車内誌が置いてあり、その中に「旅のつばくろ」という名称で、沢木耕太郎のエッセイが連載されていた。

そんなエッセイが最近、単行本として発売されたのだが、私は、そんな3年間分の車内誌「トランヴェール」を取っており、それを先日一気に読んだのだ。

 

それは、JR東日本のエリアの旅について書かれているのだが、私も行ったことがあるところについても多く取り上げられており、とても懐かしい気分に浸ったりした。

 

ちょうど、この連載が1冊の本にまとめられ、最近発売されたのだが、さらにその1か月ほど前に、セッションズと称した4冊にも渡る対談集が発売され、4月29日の祝日には、東京のFMラジオ局 J Waveで、そのセッションズをテーマとした沢木耕太郎本人が出演の特別番組が放送されていた。

それに気づいたのは、番組終了後だったのだが、ラジコのタイムフリーで聴くことができ、そんな沢木ワールドに浸りきったので、久しぶりに沢木耕太郎の本を読みたくなった。

 

ちょうどGWに入り、どこにも行くことができないので、私が最も感銘を受けた作品、「深夜特急」を読み返してみることにしたのだ。

 

GW初日の5月2日に読み始め、4日深夜に読み終えた。

香港からロンドンまで一気に駆け抜けた。

 

この作品と出会ったのは、私が大学生の時だ。

当時は、文庫版は出ておらず、単行本で全3巻読んだ。

なぜか1巻だけのちに紛失してしまい、後日単行本の1巻に該当する文庫版の1,2巻を買い、自宅の本棚にしまい込んでいた。

 

私は、本屋で買ったレシートを本に挟み込む癖があり、第2巻が1993年1月16日、第3巻が1月19日に購入していたことがわかった。

文庫版の第1巻は、1996年10月29日に購入しているので、この時に再読したのだろう。

 

最初に読んだとき、最終の第3巻を読んでいた時には、旅をできるだけ長く続けたくて、わざと読むのを遅らせていたことを覚えている。

 

そして、沢木耕太郎という人にすごく憧れを持ち、既にバックパックの旅をしていたが、ますます旅にはまり込んでいった。そして、沢木耕太郎深夜特急の旅に出た26歳という年齢を特に意識していた。

2回目に読んだのが、ちょうど26歳の時になる。おそらくそんな意識していた年齢になってしまったので、再読したのだろう。

 

そして、そのまま、私は、流されるように、サラリーマン生活を続けて今に至っている。

 

今回は、おそらく、1996年以来の再読だと思う。まさに、24年ぶりということになる。

思い出す場面、忘れている場面、いずれもあったが、旅気分を存分に味わい、とても楽しかった。

私の本当に好きなこと、したいことの原点を思い出された気がした。

 

そして、私は、そんな深夜特急に飽き足らず、自分のバックパックの旅の期間中に記述した日記(私は、勝手に「旅のノオト」と呼んでいた)を読み返した。

まともに読み返すのは、初めてではないだろうか?

 

最初の海外は絶対に船で行きたくて、船で行けるところを選んだ。そんな1991年夏の中国への4週間の旅から始まり、1992年春のヨーロッパ40日間の旅、そして1993年春のギリシャブルガリア・トルコ20日間の旅、最後には、就職してからになるが1998年6月~7月にかけてのウィーン・ブダペスト9日間の旅である。トータル4回に渡る「旅のノオト」をこれも深夜特急同様に一気に読み返したのだ。

 

本当に懐かしかった。これも、読み応え十分だった。

私は、その頃から、文章を書くことが好きだったようで、旅の間中、毎日、けっこうこと細かく、起こったことを記述していた。写真がすべて残っているわけではないが、このような文章が残っているのは、今となってはとても貴重なことに思う。まさに、自分にとっての紀行文になっているのだから。

 

30年近く前のことなので、忘れていることもあるが、けっこう覚えているものだ。いや思い出すものだ。

特に、旅の間中いろんな人に会っており、そんな人たちとのことが走馬灯のように思い出された。

 

当時は、夢も希望も持ち続けた、活動的な若者だったことがわかる。

当時の自分にとって、今の自分はどのように映るのだろうか?

 

四半世紀の時を超えて、いろいろと考えさせられるGWになったのだった。

 

【生活】レトロな理髪店に行き、日本の床屋文化を再認識する

f:id:kimissk:20200505175752j:plain

横浜市中区にあるレトロな理髪店「タカイ理容室」


散髪には月に一度ぐらい行く。

ほとんどの人がそのぐらいのペースで髪を切っていると思うが、散髪とは何とも面倒くさいものだ。だから、多くの人は、ほとんど同じ理髪店もしくは美容室に行っているのではないだろうか?

私もその例にもれず、同じところ、というか同じ人に切ってもらっている。ここ5、6年は、すっとそうしていた。

しかし、今この新型コロナウイルス騒動で、私の行っていた理容室は一時的にだが休業してしまった。

これは自分にとって相当に困ったと思ったのだが、ふと、あの理髪店に行ってみようかとふと思った。

 

それは、私の自宅に比較的近く、よく車で通るあまり通りの激しくない道沿いにある、レトロな雰囲気の床屋さんだった。

もう気にかけてから数年経っていたので、もしかしたら閉店しているかもしれない、と思ったのだが、行ってみたら、こんなご時世だが、普通に営業していた。

 

年の頃は、60代かもしかしたら70代か、人のよさそうな男性が一人でやっていた。お客さんは誰もおらず、すぐに切ってもらうことができた。

 

とても話好きな理髪師だった。

 

私は、まず、何でこの理髪店に来たかを説明した。

このコロナ騒動で、私の行きつけの理容室は休業してしまった。前々からここはそのレトロな店構えから来てみたいとは思っていた。だから、今回来てみた。しかし、私の髪の毛は相当硬く、整髪するのがとても難しいと言われることが多い。前回切ってから5週間ぐらい経っている。もみあげはかなり伸びたので2センチぐらいは短くしてほしい。あとはすっきりする程度でお願いします。

と、まあこんな感じで散髪を開始してもらった。

 

みんなそうですね、だいたい行きつけのお店で切りますもんね、という言葉から始まり、わかりました、という感じで自然と切り始めた。

 

お客さんがどれほど来ているのかはわからないが、暇を持て余していたのかもしれない。いろんな話をしてくれた。

このマスターは4代目で40年ほどやっているとのこと。それほど年には見えなかったがそのキャリアに驚いた。最初は外国人用で、この場所で100年以上続いていること。このマスターは元々、お父さんとお姉さんとやってたとのことだが、特に世襲というわけではなく、物件の大家が床屋を募集して続けていること。この周辺の歴史・地形についてなど。話は止まらなかった。

 

私がこの5,6年行きつけている理容室は簡易的な散髪を行うだけなので、久しぶりに本格的な理髪店のサービスを受けた感じだ。

散髪し、ひげを剃り、シャンプーをし、整髪する。

 

かなり丁寧に行ってくれた。終わって時計を見たら、入ってから1時間半が経過していた。

 

床屋でひげを剃ってもらったのはいつぶりだろうか?

おそらく、2005年にブラジルへ行って以来、そのような理髪店には行っていないだろう。

ということで、15年ぶりぐらいに、本格的な床屋のサービスを受けたことになる。

 

このマスターが話していたことで印象深いことが、理容師と美容師の違いだ。

理容師は、明治維新以後、人々が散髪する必要が発生したため、必要最低限の価格で行えるよう育てられた職人で、お客さんに対し、1か月間髪型が保てるよう責任を持って切ることが必要だとのこと。

一方で、美容師は、おしゃれのためなので、そのような責任もなく、お客さんが店を出たら、もう関係ないとのことだった。

 

店内の写真を撮らせてもらえないか、と尋ねると、嫌な顔もせず、どうぞ、ということだった。

 

思いがけず、久しぶりに、本当に久しぶりに、日本の床屋文化を堪能したのだった。

【音楽】高校時代にタイムスリップ!U2のライヴでこれ以上ない興奮を味わった!

今週はいろいろと音楽ライヴに行ったが、その最大のものは間違いなくこれだ。

12月4日(水)のU2のライヴ。

 

まさに熱狂の渦。

これほど興奮したのはいつぶりだろうか?

 

中学2年の頃から洋楽を聴き始め、中高時代はFMラジオをこよなく愛し、洋楽ばかり聴いていた。

いろんなミュージシャンの音楽を聴いていたが、高校時代に一番好きだったのは間違いなくU2だっただろう。

 

アンフォゲッタブルファイアー、ジョシュアトゥリー、ラトルアンドハムといったアルバムの時代だ。

確か浪人時代の1989年に東京ドームに高校の同級生と一緒に、U2の来日公演に行ったことを覚えている。

 

しかし、その後のU2はほとんど聴いていない。

その後、アクトンベイビーやズーロッパといったアルバムが発表されたが、巨大なディスコサウンドのような方向転換を受け入れられず、興味を失っていた。

 

2年ほど前に、ふとCDショップに行き、ジョシュアトゥリーの30周年記念CDというのを目にし、思わず衝動買いし、何度か聴いたりしたがその程度だった。

 

そんなU2が数年ぶりに来日するという。それも、ツアー名が何と、ジョシュアトゥリーツアーという。

しかし、チケット代がべらぼうに高い。

ちょっと行くかどうか迷ったが、大好きなジョシュアトゥリーの曲を中心にやってくれるのなら行くしかないだろう。

ということで、チケットを手に入れたのだが、これが一筋縄ではいかない。

1万円台のチケットは、抽選の末購入できず。席種はほとんどが38,800円のSS席。ということで、4万円近く払ってチケットを購入したのだった。

 

しかし、行って本当によかったと思った。

 

会場は、さいたまスーパーアリーナ。平日の夜7:30開演。

定時まで仕事をしては間に合わないので、今年からできた時間年休1時間を使用し、新幹線に飛び乗り、大宮へ向かった。

 

会場の最寄り駅は大宮から一駅のさいたま新都心。駅に降りると、すごい人だかりだ。

駅から会場までは歩いて5分ほど。

開演の40分ほど前の6:50頃に着いた。

 

まずは、グッズ売り場へ。まるでサッカー場のよう。場外に特設会場のような形で設けられている。

めちゃくちゃ混んでいるというわけではないが、熱気で溢れかえっている。

せっかく大好きだったU2の公演なので、Tシャツでも買おうかと思ったがほとんど売り切れていた。緑色のもののSサイズだけあったので、私のサイズはMだと思うが思わず買ってしまった。4,500円也。そして、パンフも。これは3,500円だった。完全にお金持ちをターゲットにしているのだろうか?何もかもが高く感じる。

中心となるのは、ジョシュアトゥリー世代なので、ほとんどが私とほぼ同世代になるのだろう。まあ、アイルランドに行くと思えば安いものだ、ということで思わず買ってしまうものだ。

 

そんなことをしていたら、もう開演の30分前。入場するにも長蛇の列だ。これらの人たちが皆4万円払って見に来ているということに、なんだかすごいな、と思いながら並んでいた。

5分ほどで入場。荷物検査、ボディーチェックもあったが、かなりゆるく感じた。

 

自席へ着く前にトイレだけは済ませたいと思い並んだのだが、すごい長蛇の列だ。10分近くは並んだのではないだろうか。

自席に着いたのは、開演の15分ほど前になっていた。

 

自席に着いてまず思ったのが、かなりいい席だということ。アリーナではなくスタンドの1階席なのだが、ステージにかなり近い。

後ろのカップルの若い女の子は、「すごいいい席じゃん、テンション上がる!」と言っていたが、まさにその通りだと思った。

 

プロ仕様のカメラ・ビデオは持ち込み禁止ということになっていたが、スマホは自由なようで、皆撮影などしていた。

 

私も、あまりの高揚感で、写真を撮りまくっていた。後ろのカップルに写真撮ってあげる代わりに、私もステージをバックに写真を撮ってもらった。なんてミーハーなことだろうか。

 

最近はロックコンサートにほとんど行かないのだが、ロックコンサートといえば、開演時間から開始までかなり待たされるイメージがあったが、5分強過ぎた頃だろうか、会場が暗くなり、演奏が始まった。

 

けっこう唐突に始まった感じなので、これが本当にあのU2なのか、と思ったりした。

 

というのも、ステージは2か所あり、広い舞台のステージと、もう1か所歌舞伎の花道のようなものの先にも小さなステージがあり、そちらのほうで演奏が始まったからだ。

私の席から、その花道の先のステージは少し遠かったこともあり、広い舞台のステージで始まるものとばかり思っていたので、何とも不意を突かれたように感じてしまった。

 

しかし、間違いなくボノだし、エッジだし、アダムなのだ。ドラムだけは、私の位置からは後ろ向きだったのですぐにはわからなかったが、ラリーなのだ。

 

サンデーブラディーサンデーから始まった。

そして少しして、ニューイヤーズデー。

初期の曲が続き、観客のボルテージも上がる。私も、かなり興奮していたのだろう。相当に気分は盛り上がっていた。

 

そして、私が最も好きだといっても過言でないプライドが始まった。

もう感動の嵐だ。気づいたら自然と大声で一緒に歌っている自分がいた。

 

それにしても、ボノの声はまったく変わっていなかった。本当によく声が出ていた。

プライドでは、ボノの伸びのある声を感じられた。

思わず、「ボノー!」と叫んでいた。

もうこんな嬉しいことはない。

 

と思っていたら、続いてホエアザストリートハブノーネイムのイントロが始まった。

これからが本編、ジョシュアトゥリーの始まりだ。

この曲のイントロはめちゃくちゃかっこいい。

この時が、一番鳥肌が立った瞬間かもしれない。

 

ステージも広い舞台のステージに移り、また背景に流れる映像がとても演奏にマッチしていて素晴らしいのだ。モノクロの荒野に広がる道が流れるように映し出されている。

 

ジョシュアトゥリーのアルバム通り、続いてアイスティルハブントファウンドホワットアイムルッキングフォー、そして不朽の名曲ウィズオアウィズアウトユーが始まった。

 

この曲はイントロを聴いただけで痺れる。鳥肌が立ってきた。

これほどベースの低音が体中に響き渡るイントロの曲もないだろう。

まさに至福の時とはこのことをいうのか。

 

そのまま一気に、ジョシュアトゥリーの全曲をやってくれた。

ジョシュアトゥリーの曲の後半ぐらいに入り、私の心も落ち着いてきた。やっと冷静さを取り戻した感じだった。

 

その後、ラトルアンドハムに入っているエンジェルオブハーレムを歌ってくれ、私もサビを思わず一緒に歌っていた。いい曲だ。

 

その後は、後期の作品に入ったようで、あまり知らない曲がいくつか続いたが、そんな中ビューティフルデイをやってくれた。

 

ボノは、盛んにショーマストゴーオンと言っていた。

 

結局、終わったのは9:50頃。2時間15分のステージだった。

 

満足感しかなかった。

これほど興奮したのはいつぶりだろうか。

熱狂の渦とはまさにこのことだろう。高校生の時代にタイムスリップしたような感じだったのかもしれない。

 

それにしても、改めてすごいバンドだと思った。

 

アーティストによっては、ライヴになるとサポートメンバーなど入れてやったりするが、U2はライヴもメンバーの4人だけで演奏していた。4人だけでこれだけ分厚い音を作り出せるのは本当にすごいと思う。

 

そして、何といってもボノの声だ。

これほど、魂を感じさせる歌声はないと思う。うまいと思う人はたくさんいるが、魂を感じさせる人はほかに思いつかない。

 

私が日々聴いていた頃から30年が経っている。

さすがに皆30年を取っているはずなのだが、あまり年を感じさせない。皆いい年の取り方をしているのだろう。

特にドラムのラリーは、昔と変わらず短髪でとても若々しく見える。

 

あとは、映像をフルに活用していたことは注目に値する。

映像で、世界中で活躍している女性を顔写真付きで紹介したりしていたが、日本人もけっこう出ており、市川房江や緒方貞子、それに草間彌生などはわかるが、紫式部が出てきたときには思わず笑ってしまった。伊藤詩織さんも出てきたのには驚いた。

 

観客もスマホを多用し、スマホで電灯を照らして一体感を醸し出したり、新しい形のライヴだと思ったりもした。

 

本当に来てよかったと思った。

いつまでも、U2の曲が頭の中を流れていた。

とても幸せな気分で帰路に向かったのだった。

 

【音楽】ブラジルの伝説のフュージョンバンド、アジムスのライヴに行ってきた!

少し前のことになる。バジアサドのライヴの翌日だったので、10月27日(日)のことだ。ちょうど2週間前のことになる。

 

アジムスといえば、何といっても、NHK FMで以前やっていた「クロスオーバーイレブン」という番組のテーマ曲で有名なブラジル人のグループだ。

 

クロスオーバーイレブンは、ジェットストリームと並ぶ、私の大好きだったFM番組だ。

私がよく聴いていたのは、高校、大学時代ぐらいだったと思うので、1980年代、90年代ぐらいの番組だろう。平日の夜11時からオンエアされていた。アジムスの異空間に誘われるようなテーマ曲「フライオーバーザホライズン」に乗せて声優の津嘉山正種の渋い声で番組は始まる。

ジャズ、フュージョンAORを中心とした洋楽などちょっとおしゃれな大人の音楽が選曲され、番組の中間あたりで曲と曲の間に、ラジオドラマのような津嘉山正種によるスクリプトの朗読が入る。これが、また妙に心に響くものだったりして、夜寝る前によく聴いていたことを思い出す。

 

アジムスは、Azymuthと表記する。ポルトガル語では「アジムチ」と発音される。

ブラジルのバンドではあるが、私のブラジル在住時代、アジムチについてまったく話題になったこともないし、ほとんどのブラジル庶民は知らないだろう。

 

ブラジルでは、フュージョンのようなジャンルの音楽を聴く人はほとんどいないと思う。少なくとも私が付き合っていた庶民は、ボサノヴァすら聴かないし、ショーロなどはブラジル音楽とはいえ、そんなジャンルすら知らない人の方が多いと思う。ジャズ、フュージョン、クラシックなどは、ごく一部の上流階級の人しか聴かないのではないだろうか。

 

さて、そんなアジムスだが、いまだに現役で、それも日本でライヴを行う、ということで、行ってきたのだ。

 

会場は、表参道にあるブルーノート東京

 

ブルーノート東京には、以前、一度だけ行ったことがある。確か1998年とか99年頃だろう。

葉加瀬太郎のライヴをやるというので、ピアニストの西村由紀江が好きだという同僚と、当時の勤務地だった越谷からはるばる表参道まで行った覚えがある。

その時には、葉加瀬の奥さんの高田万由子とアナウンサーの永井美奈子が来ていたことをよく覚えている。

 

それから約20年ぶりになるが、内装は全く違っていた(と思う)。

 

とてもおしゃれなのだ。とにかく華やか。

けっこうジャズ系のライブハウスにも聴きに行ったりするが、私が今まで行ったことがあるライブハウスとは格が違う感じがする。

こんな素晴らしい雰囲気のブルーノート東京に来れただけでもよかったと思った。

 

今回のライヴは、アジムス単独ではなく、ブラジルのシンガーソングライターでボサノヴァを中心に歌っているマルコス・ヴァーリとのジョイントだった。

 

客層は、かなり高かったが、クロスオーバーイレブン世代だけではない。やはり、マルコス・ヴァーリ目当ての人もけっこういたのだろう。

 

最初は、アジムスの3人でのステージだったが、途中で、マルコス・ヴァーリとトランペット奏者、女性ボーカリストが入っての華やかなステージとなった。

 

マルコス・ヴァーリは、先日見た映画「ジョアンジルべルトを探して」にも出演していた。

すごく心揺さぶられるパワフルな演奏だった。

 

さて、私にとって最大の目的であるアジムスの「フライオーバーザホライズン」は、ボサノヴァの名曲「サマーサンバ」とジョイントされたバージョンで演奏された。

サマーサンバは、確か小野リサ今井美樹もカバーしていたのではないだろうか。かなり有名なボサノヴァの名曲として知られているが、マルコス・ヴァーリ自ら作った曲のようだ。

 

一遍に最高の2曲が演奏されたのだが、よく考えたら、それぞれ別に2曲演奏してくれたほうがよかったな、と思ったりもした。

 

そして欲を言えば、クロスオーバーイレブンのエンディング曲「タルジ」もやってくれればよかったが・・・。

 

2ステージの最初のステージだったせいか、アンコールもなく終わってしまい、ちょっと拍子抜けした感じもあったが、今や生きる化石と言っても過言ではない、伝説のアジムスを生で聴けた感動は大きかった。

【映画】【音楽】「蜜蜂と遠雷」を見て、初めてクラシック音楽家の神髄を知った!

蜜蜂と遠雷」。この映画はずっと見たいと思っていた。

恩田陸の小説は読んでいなかったが、本屋に行く度に、山積みになっているこの本をいつも読みたいなぁ、と思っていた。

 

少し前に、ラジオ番組(J Waveの村治佳織葉加瀬太郎の番組、どちらか忘れてしまったが)でゲストに森崎ウィンが出ており、この映画の話をしていた。

 

森崎ウィンという人について、それまで知らなかったのだが、ミャンマー出身で日本在住の俳優とのこと。クラシック音楽のピアニスト4人が主人公なのだが、そのうちの一人を演じていた。

4人が4様のスタイルでピアノを弾くのだが、この4人の俳優に対し、それぞれプロのピアニストが一人ずつついて演奏しているというのもとても興味深かった。

 

凄い映画だった。

凄い衝撃を受けた。

 

クラシックの音楽家がどれほど大変なのか、壮絶な世界だということをまざまざと感じさせられた。

 

私はけっこうクラシック音楽が好きで、自分ではクラシック音楽ファンだと思っていたが、音楽家演奏家、特にソリストのことを何もわかっていなかったことを恥じる思いになった。

 

客席で、のほほんと聴いていることが、どんなに楽なことだろうか、と思う。

ステージで演奏している人たちは、我々の知らないところで、とてつもないプレッシャーと、そして自己との葛藤と戦っている。

協奏曲は私も特に好きだが、これなど、ソリストは指揮者、そしてオーケストラの団員との決闘ともいえるということを知らされた。

 

指揮者はいわばオーケストラの監督だ。常任指揮者ならある程度のことがわかると思うが、客演公演はそうはいかない。本当に大変だということを実感させられた。

指揮者もそうだが、団員もそうだ。

 

そこに、協奏曲でソリストが入ってくると、さらに複雑になる。

指揮者の能力、才能は当然大事なことだが、指揮者の人柄というのは、本当に重要な要素だと思ったりした。

 

クラシックの音楽家は、私のような素人からみると皆天才なのかもしれない。

コンクールの課題で作曲もするし、即興で演奏もする。

ピアニストがピアニストを即興で合奏したりするのだ。

すごい世界だ。

 

音楽とスポーツは、世界の共通語でもあるし、私はいずれもとても好きで、けっこう比較したりするが、クラシック音楽の世界は別格だと思った。

プロのサッカー選手になるのは本当に大変だ。しかし、プロのクラシックの音楽家になるのは、そんなものとは比較にならないほど大変、というより過酷なことだということを感じさせられた。

 

これからは、そういうことを思いながら、クラシックの演奏会を聴いてみたいと思う。

クラシック音楽を聴く楽しみが増えた。

 

今回、演奏しているプロのピアニストは、河村尚子、金子三勇士、藤田真央、福間洸太朗の4人。

この4人の中で知っていたのは金子三勇士だけだったが、プレイスタイルは四者四様なので、改めてそれぞれ聴き比べてみたい。

特に、鈴鹿央士(新人俳優とのこと)演じる風間塵の演奏は圧巻そのもの。これは藤田真央というピアニストが演奏しているようだが、この人の演奏は特に聴いてみたいと思う。

 

あと、おもしろかったのが、ピアノがスタインウェイヤマハ、そしてカワイの3つのメーカーのものを使っていたことだ。

だいたいのコンサートホールではスタインウェイが使われているものだと思っていたが、主人公の松岡茉優演じる栄伝亜夜はカワイを、鈴鹿央士演じる風間塵はヤマハを使っていた。

カワイのピアノには、「SHGERU KAWAI」と筆記体のような字体で印字されていたのには目を引いた。「SHIGERU KAWAI」の表記は今まで見たことがない。実際に使われているのだろうか?

 

ピアノの演奏シーンは圧巻だ。

コンクールの予選から本戦までの数週間ほどを描いただけなのだが、映像に引き込まれ、あっという間の2時間だった。